子供が間違いを犯したとき、責任を問われるのは親なのか?

しおり
こんにちは。昨年世界一周してきましたしおりです。今回は「子供が間違いを犯したとき、責任を問われるのは親なのか?」です。

子供が間違いを犯したとき、責任を問われるのは親なのか?

 

子供が間違いを犯した時、世の中は親の責任を問う風潮がある。

 

例えば犯罪を犯してしまった時。

人に暴力を振るったり、人としてすべきではない事をしてしまった時。

 

世の中は「子供の親はどんな親か?」とか「親がちゃんと教育しなかったからじゃないか?」と考える。

 

 

果たして子供の間違いは、本当に親の責任なんだろうか?

 

日本人は人の批判ができない

問題は日本人が、人の批判ができない事にある。

 

昔の人は自分の子だろうと人の子だろうと、大人が子供を叱る事は当たり前だったとか。

 

 

ところが最近は、昔とは教育のあり方が変化してきた。

 

昔は当たり前とされていた“しつけ”としての体罰や言動が、敏感に“教育の一環として不適切なもの”と判断されるようになった。

 

子供のことを必要以上に擁護する“モンスターペアレント”も一時期よく話題になった。

 

 

そしてこれによって多くの大人が、安易に子供の悪い点を指摘できなくなってしまった。

 

 

 

叱るのは大抵、自分の子供。

 

人のうちの子を“叱る”なんてことは、滅多にない。

 

家庭での叱りと家庭外での叱りの違い

家庭で叱られるのと家庭外で叱られるのとでは、全く意味が違ってくる。

 

 

そもそも家族と家族以外では、その関係性も関わり方も全く違う。

 

 

 

自分の悪い点を指摘してくれるのは、今の時代では「家族」がほとんど。

 

けれど家族からの指摘は、あくまで“家族と関わる時の自分”に対する指摘。

 

 

じゃあ“家族以外の人と関わる時の自分”に対する指摘は、誰がしてくれるのだろう?

 

 

 

 

本来は身近な友達や関わった全ての人たちが、この役割を担うべきなのだと思う。

 

だけど日本人は人の批判が苦手で、思うことがあってもそれを心の中に秘めたまま、我慢してしまうのだ。

 

関わった全ての人によって、その人の人格は形成される

人の人格は、その人に関わった全ての人に影響されている。

 

もちろんその人自身の問題もあるけれど、周りの人の影響も絶大。

 

 

親ばかりがその人と関わったわけじゃないよね。

 

むしろ人によっては、親よりも長い時間を一緒に過ごす相手がいてもおかしくない。

 

 

それなのに世間はまず「親」に注目し、親の責任を問いたがる。

 

 

親の問題?

 

 

親だけの問題?

 

 

 

 

違う。これは社会全体の問題。

 

 

その人の人格を正しい方向に導けなかった、社会全体の問題。

 

 

その人に関わった、全ての人の問題。

 

 

誰もが人の間違いを正す役割を担っている

人の間違いを指摘することを恐れてはいけない。

 

 

人を正しく導くことができる機会は、日々の生活に溢れている。

 

 

 

嫌われる事を恐れたり、気まずくなる事を恐れたりして、人の間違いを見過ごすのはもうやめよう。

 

 

間違いの責任を、特定の人間に求めるのはもうやめよう。

 

 

人を責める前に自分のことを振り返るべき。

 

 

自分は人を正すことを、諦めてはいないか?

怖がってはいないか?

 

 

 

まずは自分を正すこと。

 

 

そこから一つずつ、始めて行こう。

 

社会を構成しているのは私たち一人一人

人は何事も、自分のことに置き換えて考えるのが苦手みたい。

 

全てのことは自分に置き換えて考えることができるはずなのに、あらゆる事を人ごとのように捉えている。

 

 

 

他人事じゃない。

 

全て自分ごとだ。

 

 

 

一人一人がそう思えるようになったら、この社会はきっとずっと良くなる。

 

 

誰かの責任にするのはやめよう。

 

全てが自分の責任だ。

 

 

自分にできることを精一杯する。

 

 

そしたらきっと、私たちの未来にも、明るい光が差し込んでくるような気がする。

 

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