生きること。生かされること。

しおり
あけましておめでとうございます。昨年世界一周から帰って来ましたしおりです。今回は「生きること。生かされること。」です。

生きること。生かされること。

 

わたしは病院で働いている時、モヤモヤして仕方なかった。

 

もう死んだ方が楽になれるのに、と思うことがあったり、(>>どんなふうに死にたい?に書いた)

 

もう死んだ方が楽だと思うのに、自分の意思じゃなく生かされていると思う場面があったからだ。

 

死を受け入れているのに生かされる

これは友達が働いていた病院での話。

 

寝たきりで動けないけど、頭のしっかりした、自分の意思をはっきり言えるおばあちゃんがいた。

 

ある時、おばあちゃんがご飯が食べれなくなった。

 

 

でもさ、食べれなくなるって普通のことだよね?

 

 

でも、食べれないと、点滴しようっていうのが病院の考え。

 

 

おばあちゃんは点滴を拒否した。

 

何度も何度も、友達に点滴をしたくないという思いを訴えた。

 

食べれなくなって死ぬのは自然なことだし、おばあちゃんは“死”を受け入れていた。

 

けど、病院は、点滴しないわけにはいかないっていうの。

 

治療しないのに、病院にいることはできないって。

 

 

でも、おばあちゃんは介護が必要な状態で、家族のサポートも常に受けれるわけじゃないし、家に帰ることもできなかった。

 

 

結局、院長先生が説得して、おばあちゃんに点滴をした。

 

 

 

 

 

なんかおかしいよね?

 

 

誰のために点滴するの?

 

 

 

病院が儲けるため??

 

 

 

わたしはこれを聞いたとき腹が立って立って、仕方なかった。

日本の病院なんて、くそくらえだと思った。

 

 

病院は“生かせば良い”と思ってない?

こんなふうに、“生かされている”場面は、医療現場には山ほどある。

とくに、もう自分では意思を言うことができない人が、生かされていることが多い。

 

 

でも、その人の立場に立ってみればわかるはず。

 

“生きている”のか、“生かされている”のか。

 

生かされている人を見るとき、わたしはモヤモヤして仕方なかった。

 

 

だけど、そんな人が多すぎたし、周りもそのおかしな状況に立ち向かって声を挙げる人がいなくて、

 

 

 

言うことができなかった。

 

 

情けないね。

小さくおかしいよねって友達や同僚にグチったくらい。

 

 

現場経験のある人なら、同じようなこと、少なからず思ったことがあるんじゃないかな。

 

 

わたしが言えなかったのにこんなこというのずるいけど、

 

 

 

もう一度、立ち止まって考えて欲しい。

 

 

そして、勇気を出して声をあげて欲しい。

 

 

 

目の前の人は、“生かされて”いないか?

 

 

 

 

そして、家族も考えて欲しい。

 

 

 

あなたの家族は、ただ、“生かされて”いないか?

 

 

その人の立場に立ってみて、あなただったら、治療したいと思うだろうか?

 

“生かす”ことはもうやめよう

死なせることは出来なくても、生かすことをやめることはできるんじゃないだろうか。

 

それは、死なせるのとは違う。

 

自然に死を迎えるのを、助けるだけ。

 

 

もう生かされる人を見るのは、ごめんだ。

 

生かされる側の気持ちを考えて、モヤモヤするのももう嫌だ。

 

 

生かす方も生かされる方も、なにも良いことないじゃんね。

 

 

みんなの幸せのために、生かすことはもうやめよう。

 

治療をやめて、自然に死が来るのを待つ。

 

私にはそれが、何よりも一番人間らしい死に方に思える。

 

生かされているのにはお金もかかっている

誰にとっても良いことがないと思うのに、そこにさらにのしかかるのはお金の問題。

 

 

日本の医療費が膨らんでやばいとか言ってるけど、こうやって生かされている人たちにお金をかけているから、どんどん医療費がかかっているんだと思う。

 

 

 

何がしたいんだろうね?

 

 

何をやってるんだろうね。

 

 

 

私たちの税金は誰のために使われているんだろう。

 

 

本当にこんな無駄なことはもうやめたい。

 

 

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